コレクション: 引きこもり

「引きこもり」はマイナスだけでなくプラスにも捉えることができます。
しかし、悪霊や悪魔に狙われてしまう危険もあるため、
自分で自分を律していくことがとても大切です。
周りの方への感謝を忘れずに、自分でできることを増やしていくことが
悪霊から身を守ることになります。

大川隆法総裁の教えの中から、引きこもりの人に対する
心の処方せんを選びました。

 

学者や思想家、作家になった人で、「引きこもった経験がない」という人は、ほとんどいない

学者や思想家、作家になった人で、「引きこもった経験がない」という人は、ほとんどいない

現代では、医学的な問題として、自閉症や引きこもりなどの問題が流行っています。しかし、いろいろなレポートをいくら見ても、私には、そのような障害や病気があるようには見えないのです。

確かに、昔で言えば「知恵遅れ」と言われるようなこと、「知能が低い」というようなことは、客観的にはあるかもしれませんが、私には、どう見ても、「扱いにくい子供がいる」と言っているようにしか思えません。

世の中には、扱いにくい子供がいます。そういう子供は手がかかるものですが、手をかけたくないために、それを、「問題だ、問題だ」と言っているのでしょう。

例えば、学校の先生は一人で約四十人の子供を受け持っていますが、母親でも手を焼くような子供を四十人も集めたら、言うことをきかせるのは、とても難しいことです。先生の目には、ほとんどが問題児に見えてきて、特に言うことをきかない子供について、「問題がある子だ」と言いたくなってくるでしょう。

引きこもりについても同様です。学者や思想家、作家になった人で、「引きこもった経験がない」という人は、ほとんどいないと言ってよいのです。

何事かを成し遂げた人は、みな、孤独の時間を持っています。孤独の時間のなかを生きずに何かを成し遂げた人はいないのです。発明家も研究家も、みな、そうです。

そういう人たちは、多少、変わったところはあるかもしれませんが、可能性のある人たちなのです。

大川隆法著『ストロング・マインド』より

お坊さんは修行と称して引きこもっていた

私は、以前、引きこもりについて取り上げたテレビ番組を観たことがあります。その番組では、「引きこもりは問題だ」と一生懸命に言っていたのですが、なぜ問題なのかが私にはよく分かりませんでした。

そのようなことは、お坊さんはみなやっていたからです。お坊さんは修行と称して引きこもっていたのです。

「十二年籠山行」といって、「十二年間、山のお堂にこもり、新聞も読まなければ、ラジオも聴かず、テレビも観ない」という修行をするお坊さんもいます。そういう人は、「高僧」「名僧」と言われたりします。

したがって、いま、「引きこもりは問題だ」と言われていても、私にはピンとこないところがあります。

もしかすると、過去世で山にこもって修行をしていた人が、現代に生まれたら、そのように「引きこもり」になるのかもしれません。「この世の雑多な世界、ごみごみした所で、いろいろな人と会ったり話をしたりしたくない」という人がいても、おかしくはないと思うのです。

昔は、お坊さんはみなそうでしたし、修道院の修道士も、現代的に言えば、みな、引きこもりでしょう。生産活動を行わず、引きこもっていたわけです。それも、霊感でもあればまだよかったのですが、霊界から何の声も聞こえないのに、ただ壁に向かって坐っているだけのような人が、たくさんいたのです。

現代は、時代が変わって、忙しくなっているのでしょう。他人とかかわり合いを持たずにいるだけで、それが異常に見えるほど、忙しい世の中になっているのだと思います。

現実には、確かに、多くの人の力を受けているので、お返しをする範囲も広がっています。「自分一人の人生を生きることができなくなった」というのは事実です。

そして、お返しをしていくためには、多くの勉強が必要であり、智慧が必要になっているのです。

大川隆法著『青春の原点』より

悪霊は家族の弱いところを狙ってくる

悪霊や悪魔が家族系統を狙ってくる場合、「弱いところはどこか」ということを、いつも見ている感じがします。そのため、家族のなかで弱いところがあれば、必ず襲ってくるわけです。

例えば、狼が羊を狙うときには、子羊や怪我をしている羊、あるいは、群れからはぐれやすいタイプを狙ってきます。やはり、「組織の文化になじめずに、一匹狼になって、はぐれているようなタイプ」や、「家族のなかで、一人だけ外れているようなタイプの人」というのは、狙いやすいのです。

大川隆法著『真のエクソシスト』より

他人や環境のせいにせず、自分でできることから解決していく

他人や環境のせいにせず、自分でできることから解決していく

だいたい、心が小さい場合は、「自分の責任」として受け止めることができないので、必ず、「他人のせい」や「環境のせい」にします。親のせいやきょうだいのせい、あるいは、学校の先生のせい、職場の上司や同僚のせいなど、いろいろなもののせいにすることになるわけです。

もちろん、そういった人たちが、まったく関係がないとは言えません。実際に関係していることもあるかもしれませんし、環境が悪いこともあるだろうとは思います。しかし、基本的に、何度もお教えしているように、まずは、自分自身を振り返って、自分のできることから物事を進めていくことが大切です。

確かに、他人様の助けはありがたいのですが、やはり、「自分でできることから解決していこう」と努力している人は、他の人も助けやすいし、天上界の霊も助けやすいということは知っておいたほうがよいでしょう。

例えば、「自分が不幸なのは、すべて、お父さんが会社をクビになったからだ。そのせいでこうなったのだ」とか、「お母さんが、こんな悪い性格を持っているから、こうなったのだ」とか、「お祖父さんが交通事故を起こしたから、そのあと、家が傾いた」とか、いろいろなことはあるでしょう。

あるいは、「学校のクラスで学級委員をやっていた人が意地悪だったために、私は学校で、いじめられっ子になって、不登校になった」ということもあるかもしれません。

そのように、理由は、いちいち聞いてあげなくてはいけない面もあるかとは思いますが、最終的に見ると、やはり、本人自身に「自力更生していこう」という傾向性がある場合は、助かる可能性が高いのではないかと思うのです。

大川隆法著『真のエクソシスト』より

「引きこもり」でも大勢の人の力を受けている

「引きこもり」でも大勢の人の力を受けている

現代には、「引きこもり」と呼ばれている人たちがいます。外に出ないで家のなかに引きこもっている子供もいれば、二十代、三十代になってもまだ家から出ないで引きこもっている人もいて、問題になっています。

しかし、本人は引きこもっているつもりでも、ほんとうは引きこもりになっていないのです。なぜなら、人間は大勢の人の力を受けて生きているからです。

家にこもってインスタント食品を食べていたとしても、そのインスタント食品をつくるためには、数多くの人の智慧と努力があったのです。また、当然、それを買うお金も必要です。したがって、引きこもりをしているつもりでも、実は、引きこもりにはなっていないわけです。

大川隆法著『青春の原点』より

与えられていることの感謝からお返しを

昔であれば、たとえば、インドの修行者たちは、岩山にこもって生活をしていました。確かに、彼らは、自然からの恵みだけを受け、他の人間からは恵みを受けずに生きていたと言えます。岩穴で生活し、水と木の実など自然のものだけで生きていました。

しかし、いまは、そういうことはありえません。大勢の人、あるいは国家や社会の大きな力を受けているので、その分、お返しをしなければいけないものが増えてきているのです。そのために、努力・精進ということが余計に必要になってくるわけです。

大川隆法著『青春の原点』より