コレクション: いじめに負けない
よくここまで、いじめのつらさに耐えてきましたね。
あなたは本当は独りではありません。
大川隆法総裁の教えの中から、いじめを受けているあなたを救うための心の処方せんを選びました。
いじめの実態―教室は「悪霊との対決の場」になっている―
昔とは違って、最近は、宗教的に言えば、悪霊が憑いているような状況というか、悪霊に支配されているような状態が、すでに小学校のレベルまで下りてきており、子供によるミニ暴力団のようなグループが、かなりできています。
これには本気で取り組まないといけません。
子供に「個人で戦え」と言っても、無理があります。親がいくらそう言っても、とても無理です。
例えば、「1人で暴力団の巣に乗り込んでいき、戦って折伏(しゃくぶく)する」と言っても、そうはいかないでしょう。
教室に行くと、毎日毎日、そういう状況であり、そこから逃げられないのです。塾もありますが、学校の教室は、だいたい逃げ場がない状況です。大人としては担任が1人いるだけで、密室のようになっているため、逃げられないわけです。
そういう学校の現場の状況について、親は、ほとんど知りません。父親は無関心ですし、母親も、仕事をしている人が今は多いため、子供の状況を十分に聴いてやれず、また、聴いても対応ができないのです。毎日毎日、学校に行って見張るわけにもいきません。
親が子供に対して、「個人として、強く戦ってほしい」という気持ちを持っていても、相手の数が多いので無理なものもあります。
もちろん、その悪い子たちも、家庭の事情など、いろいろな理由で、そうなっているのは事実ではあるのですが、現実には、その教室の現場が「悪霊との対決の場」になっているのです。これは数がかなり多くなってきています。
(『教育の法』 より)
いじめに遭ったら、できるだけ具体的な記録を残すこと
いじめグループはミニ暴力団化してきています。これはマフィアの支配のようなものです。そして、学校側までもが、これに連結していると、いじめとの戦いは本当に「組織悪との戦い」のようなものになります。
これに母親が立ち向かい、いじめを解決するのは、とても難しいことです。学校のほうは、逃げようとして、いじめを隠そうとしますし、子供たちのほうも、悪さをしている者が逃げようとして、この両者が結託(けったく)するのですから、どうやって、これと戦えばよいのでしょうか。
子供にとって、いじめを告発するには、ものすごい勇気が要ります。
また、勇気を出して訴えても、「証拠はない」と言われ、大勢から、「そんなことは言っていない。あいつの狂言だ。嘘つきは、あいつ一人だ」などと言われるわけです。
そして、担任も、問題から逃げるほうが楽なので、いじめている側と結託するのです。暴かれたくないので、とにかく事件性を否定し、「いじめではない」と言います。
それから、「いじめには反復性・継続性が必要である。一過性のものだったら、それは、いたずらだ」「ちょっとした嫌がらせだろう」などという感じで、いじめにしないように持っていくのです。
これと戦うのは非常に大変です。
したがって、いじめを感知したら、親は、「何月何日の何時ごろ、誰が、どういうことをしたか。どんなことを言ったか」などということについて、できるだけ詳細で具体的な記録を残したほうがよいのです。
いじめを訴えると、相手は必ず否定しにかかります。いじめている側だけでなく、学校の教師までもが、「証拠がない」と言い、一緒になって逃げるので、できるだけ詳細な記録を残してください。
ただ、これだけでは、本当は、いじめを立証するのは難しいのですが、それでも、「繰り返し、いろいろなことをされている」ということの記録を残さないと、戦う武器が何もありません。
(『教育の法』 より)
詳細なメモをつくり、外部の人に相談する
今は、いじめが学校内では解決しないことが多いので、警察や教育委員会、教育センター等にある、いじめの相談窓口にも電話してください。
外部の人でないと信用できません。内部の人に言うと、その人が上に相談したら一緒に隠蔽(いんぺい)に入ってしまうようなところがたくさんあるので、外に相談してください。そうすれば必ずチェックが入ります。ただ、外に相談しても、それで解決するかどうか、必ずしも分からないところがあります。
例えば、教育委員会は、教育改革の流れを受けて、いじめ問題に取り組もうとしていますが、全国的に見ると、まだまだ十分ではないかもしれません。教員出身者が委員の多数を占めているので、学校と教育委員会とは、いわば同業なのです。委員にとって、いじめへの対応は、自分たちもやってきたようなことなので、"身内"を守ってしまうところがあるわけです。
これを変えようとする政治的動きはありましたが、どこまで実効性があるかは分かりません。
しかし、言うべきことは言ってください。
外に相談すると、まず、「校長に相談してください」と言われるはずです。担任だけに言っても駄目なら、校長に1回は言わなくてはいけませんが、"良心がない"校長もいて、"ぐる"の可能性があります。そのため、「これは解決しない」と思ったら、やはり、外部の人に言わないと駄目です。
教育委員会等にも、きちんと意見を言ってください。いじめを学校側が認めない場合には、外部の人を入れないかぎり、問題は絶対に解決しません。そういう、戦う姿勢を持ってください。
(『教育の法』 より)
決して悪の勢力に負けてはいけない
仏や神を信じる心のない人は、正しい心で生きたり、愛の心で生きたりしている人間が、ばかのように見えたり、損をしているように見えたりする。
たとえば、幸福の科学の教えを守って、うそをつかず、正直に生きている子どもがいるとしよう。その子は、いつも正しいことを求めていて、正しいことを語り、正しい行動をしようとする。
その一方で、うそをつき放題、人の悪口を言い放題、人をやっつけ放題の子がいるとする。そうすると、一見、悪口を言い放題の子、人を殴ったり蹴ったりし放題の子のほうが強くて、正直でうそをつかない子のほうが弱いようにも見える。
しかし、私があなたがたに言っておきたいことは、この世の世界も、そして、この世を去った世界、霊界をふくめた大宇宙も、すべて、仏様、神様がつくられた世界であるということだ。
だから、根本の仏様、神様の気持ちから離れて、宇宙の真理、正義というものはありえない。この世界をつくられた方の心のもとに、善と悪とが分かれているということだ。
仏様、神様といわれる方は、あなたがたに、「人に優しくしなさい。人を愛しなさい。正しく生きなさい。」と教えている。
うそをつきつづける人が、最後まで幸福な人生を生きることはできない。うそは、いつか必ずばれて、人々の信用を失い、人々から非難され、人々から批判されるようになる。そして、やがて、貧しくなり、あわれな晩年を送り、不幸のうちに死んでいくことになるだろう。
また、人を殴ったり、蹴ったり、傷つけたりした人が、その証拠があがらないために、のうのうと逃げ延びることができたとしても、そういう悪いことをした事実、人を殴ったり、蹴ったり、いじめたりして苦しめたという事実自体は消えない。
その事実は、仏の目に、確かに焼きつけられて記録されているし、あなたがた一人ひとりの心のなかにも、きちっと残っているんだ。
この世は、因果応報の世界であると言われている。つまり、「正しいことをした者には正しい結果が来て、悪いことをした者には悪い結果が必ず来る。」ということだ。
生きているあいだにも、そういう「善因善果・悪因悪果」が起きるだろう。正しいことをしている者には正しい結果が来て、悪いことをしている者には悪い結果が必ず来るだろう。
正しいことをしている人が、一生、不幸のままということは、おそらくないだろうし、悪いことをしつづけて幸福になれるということはないだろう。
いま、悪の炎が燃え盛っているように見えても、その炎は、他の人を焼き尽くすだけではなく、必ず、自分自身の幸福をも焼き尽くすようになるだろう。
一時期は、悪の力が強くて、悪に抵抗しても勝つことができないように見えるときもあるだろう。ただ、あなたがたは正しく生きなさい。真理を守り、仏の教えを守って、正直に、正しく、精進しつづけなさい。
彼らは、あなたがたが目障(めざわ)りなんだ。彼らは、あなたがたがいると自分たちが苦しくなるから、あなたがたをいじめているんだ。正しい者を、弱い者であるかのように見せているんだ。真理に生きる者を、あざ笑うことで、自分のごまかしやうそを覆いかくそうとしていると言ってもいいだろう。
あなたがたは、決して悪の勢力に負けてはいけない。あなたがたは、真理のうちを生きていきなさい。光のうちを生きていきなさい。
あなたがたは、動物の世界のなかに生きてはいけない。「強いものが弱いものを倒す。大勢のものが少数のものをいじめる。」といった、そういう弱肉強食の動物の世界に生きてはいけない。
あなたがたが目指す世界は、天使の世界だ。しいたげられている者、いじめられている者、弱い者を、なぐさめ、助けることこそ、天使の仕事だ。間違っても、自分がいじめられないために、いじめをする者たちに加わって、弱い子をいじめたりしてはいけない。
(「ヘルメス・エンゼルズ」第135号 幸福の科学総裁・大川隆法先生「ひかりのことば」/いじめの世界と愛の世界(2)より)
みなさんの人生は、数多くの天使たちに見守られている
みなさんの人生のことを知っているのは、みなさんだけではありません。みなさんの人生は、数多くの天使たちによって見守られているということを忘れてはならないのです。
彼らは天上界にあって、地上にいるみなさん一人ひとりの人生を、いつも見つめています。そして、みなさんが悲しんでいる時には、彼らもまた悲しみ、みなさんが喜んでいる時には、彼らもまた喜んでいるのです。
そのように、自分と共に歩み、自分と共に生きている存在があるということを、いかなる時も忘れないでいただきたいと思います。ときには、天使がみなさんを背負って道を歩くこともあるのです。
みなさんは、目に見えるものだけを信じ、目に見えないものを信じないかもしれません。しかし、目に見えないもののなかに、どれほど多くの愛が隠されているか知っていただきたいのです。
目に見えぬ隣人が、日夜みなさんを見守り、みなさんが悲しんでいる時には、共に涙を流しているという事実を知った時、みなさんの孤独は、どれほど癒(いや)されることでしょうか。
(『愛から祈りへ』 より)
人間には幸福になる義務がある
いつも人から害されていると思っている人には、1つの共通した特徴があります。
それは「自分はいつもいじめられているのだ」という雰囲気をまわりに漂(ただよ)わせているということです。いわゆる「いじめられっ子」の雰囲気が漂っているのです。
そうした人にかぎって、自分の弱点を容易に外にさらけ出してしまい、その傷口の部分を他の人につつかれることがあります。これは、ほんとうの意味での自己愛ができていないのです。潜在意識にある自己破壊願望が、いつのまにか表面化してくる傾向があるわけです。
このような人は、心のどこかに自己卑下(ひげ)的なところがあります。何らかの挫折経験をきっかけとして、「自分はだめなのだ。つまらない人間なのだ。どうでもよい人間なのだ」という気持ちを持つようになっているのです。
この場合には、光明思想を持って生き抜いていくことが大切です。自分を、つまらない人間、くだらない人間だと思ってしまうと、救いがありません。そうではなく、「自分は仏によって創られた仏の子であり、素晴らしい人間なのだ」という考え方が大切です。
また、「人間は幸福になるために存在しているのだ。人間には幸福になる義務があるのだ」という積極的なイメージを持って生きていくことです。みじめな自己像をいくら見つめても、よくなることは決してありません。考え方の根本を変えて、自己イメージを輝かせることが大切です。
光明思想によっていつも自分を光らせていると、まわりの人は、そのような光っている人に対しては悪口が言えなくなります。いつも陽気で楽しそうで、成功している雰囲気を漂わせている人に対して悪口を言うと、それが自分にはね返ってきて、まわりから「あの人に恨みでも持っているのではないか」と思われるので、悪口を言えなくなるのです。
いつもみすぼらしそうにしている人に対して悪口を言うと、まわりの人は「さもありなん」と思ってうなずくのですが、成功している雰囲気をいつも漂わせている人に対して悪口を言うと、それはやっかみとしか映らず、その悪口はそれを言った人にはね返っていくのです。
したがって、他人に原因があると思ってはいけません。いつも人から害されていると思っている人は、哀れっぽい雰囲気、みすぼらしい雰囲気を必ず漂わせているので、まず、自己像を改善し、自分の雰囲気を変えていくことが大切なのです。
(『「幸福になれない」症候群』 より)
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