コレクション: 学業不振

人間の価値は、成績だけではかれるものではありません。
それに、学業以外にも人生を輝かせる道はいくらでもあります。
あなたは、この世でただ一人の価値ある存在なのですから、絶対に死んではいけません。

大川隆法総裁の教えの中から、あなたの学業を好転させるための
心の処方せんを選びました。

 

早いうちから人物の評価を確定できるものではない

早いうちから人物の評価を確定できるものではない

学業の不振というものは人生のなかで一時的なものです。

強制的に勉強させられることになる時期は、二十歳前後ぐらいまでの、ほんの短い期間だけです。

社会に出たら、勉強するのも、しないのも、自由です。勉強をしないなら、しないで、またそれなりに楽しい人生もありますし、人間関係を豊かにしていく道もあります。

あるいは、社会に出てから勉強し、それを何かに役立てたり、教養の道を歩んだりする人もいます。どういう道を歩むかは各人の自由なのです。

学校では、強制的に勉強させられて、点数がついたり順位がついたりしますが、それは学校を卒業した段階で終わります。そのことを知ってください。

「成績がよい」ということは、“入り口”では有利ですが、“出口”において有利であることを保証してはいないのです。

卒業後も席次が付いて回ることが、役所などでは多少はあるかもしれませんが、そういうところは、化石のような時代を生きている世界であり、一般社会では、そのようなことはありません。

入省時の順位で上位の人が順番に出世していくようになっている官庁とは違い、一般の会社では、入社試験で一番を取った人が社長になることはほとんどなく、序列は激しい入れ替わり方をしています。

人事部の人であっても、人を見る目は、それほど高くはないのです。「この人は偉くならないだろう」と思った人が、偉くなり、「この人は偉くなるだろう」と思った人が、偉くならずに潰れてしまったり辞めたりしています。それくらい、「人を見る」ということは難しく、早いうちから人物の評価を確定できるものではないのです。

したがって、粘ることです。粘っているうちに道が開けることがあるのです。

「一つの扉が閉じても、また別の扉が開けてくるのだ」ということを知っていただきたいと思います。

大川隆法著『生命の法』より

人生の底を極めると、たくましく生きていける

人生の底を極めると、たくましく生きていける

学業のほうで、かつてのような栄光が味わえない場合には、学業とは関係のないところで、人間関係を少しつくったほうがよいと思います。さまざまな稽古事や習い事のサークルなど、学校から離れたところで人間関係をつくることです。

そういう場で、「世の中の一般の人たちは、どうであるのか」ということを見て、自分の思い詰めた気持ちを少し安らがせたほうがよいと思います。

たいていは勘違いをしているのです。人間には、「みずからが属している集団のなかでの自分」というものしか、考えられなくなるところがあります。それで、「自分は駄目だ」と思い詰めていくのですが、日本全体で見たら、ずいぶん優秀だったりするわけです。

また、「一番も偉いけれども、ビリだって偉いのだ」と思ってください。

四十人のクラスの一番も偉いけれども、四十番も偉いのです。学年四百人のなかの一番も偉いけれども、四百番だって、なかなか大したものです。四百人の生徒がいれば、必ず、一番も出ればビリの四百番も出るので、誰かがビリをやってくれなければ困るのです。

したがって、「おれが正真正銘のビリだ。他の人たちは、おれがいるから、幸福な人生が送れて、よかっただろう。おれが頑張って底辺を支えているのだぞ」と言える人は、それはそれで立派なものです。

一番の成績を取って機嫌よくやっている人で、不登校になったり、学校をやめたりする人はいませんが、ビリであっても、学校をやめずに、機嫌よく学校に通う人も偉いのです。なかなかの根性をしています。

そういう人は、社会に出てから出世する可能性は、かなり高いのです。「人生の底を極めた」ということで、人に踏みつけられながらも、たくましく生きていけるからです。その意味で、ビリもなかなか偉いのです。

ビリというものは、なかなか、取れるものではありません。昔の旧制中学のころから、「上のトップと下のトップは偉い」と言われて、他の人たちから尊敬されていました。

確かに、ビリのほうからも人材が出るのです。そういう人は、それだけ鍛えられているわけです。

現在、ビリの人、あるいは、ビリから十番目以内に入っている人もいるでしょうが、「底辺を支える」というのも大事なことなので、耐えて生きてください。

それでも、その学校に入れなかった人よりは優秀ですし、ほかの人たちが自殺しないように底辺を支えている面もあるわけです。そうである以上、頑張って支えてあげればよいのです。

人生には、ほかにも、生きる道はたくさんあります。特技は幾らでも開発することが可能です。ほかの道で、優れたところを磨いていけばよいのです。

大川隆法著『生命の法』より

世の中では何事においてもピラミッド型になる

「自分は他人よりも何かにおいて必ず上でなければいけない」と考える性格は災いです。「普通のレベルでもよいし、普通より下でもかまわない」という気持ちがあっても、よいのではないでしょうか。

世の中では、何事においても、必ず、上は少なく下が多いピラミッド型になるのです。勉強でもピラミッド型になりますし、野球でもそうです。高校野球でも、甲子園で頂点に立つのは一校だけで、あとの数千校は頂点には立てません。スポーツでも必ずそのようになるのです。

音楽やその他のものでも同じです。歌手であろうと、演劇をやろうと、絵を描こうと、必ずピラミッドになります。どうしても、上は少なくて下が多くなるのです。世の中はそういうものです。

「他人との競争で自分が勝利しなければ、世をはかなんで自殺する」というのは愚かなことです。そういう人生観からは早々に卒業してください。

大川隆法著『生命の法』より

商品が見つかりません
絞り込みの数を減らす、またはすべて削除する