悪霊の憑依をはずした「感謝の心」 「死ね」というささやき
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今から20年以上前のこと。私は離婚して、郷里の沖縄に帰ってきていました。離婚の原因は、夫の浮気です。
「捨てられた」という思いから、生きる気力をなくし、自分がその日ご飯を食べたかどうかさえ分からなくなるほど虚(うつ)ろな日々を送っていました。体は常に重く、頭痛は毎日のように襲ってきます。
さらには、耳元で「死ね」という不気味なささやきが聴こえてくるようになりました。もともと私は、高校生の頃から「霊」が時々視えていました。しかし、この時ばかりは、四六時中ほかの誰かに支配されているような七転八倒の苦しみを味わっていたのです。
募る不安を抱えながら病院に行きましたが、検査の結果は全くの異常なし。思い悩んだ末、沖縄の伝統的なユタ信仰の祈祷師のもとを訪れ、「うーとーとー(祈祷)」をしてもらうようになりました。
祈祷して邪霊をとってもらうと、確かに体は軽くなりますが、すぐに発狂しそうなほど苦しい状態に戻ってしまいます。なんとか自分で治せないものかと思いましたが、他に為(な)すすべもなく、しばらく祈祷に頼って生活する状態が続きました。
理解者が欲しい
霊に心身の状態を妨害される状態がひどくなってきてからは、孤独感がいっそう増し、誰かに理解して欲しいという思いが募りました。ある日、思い余った私は、幼い頃から、仲の良かった従姉妹を頼って、彼女の経営する花屋に駆け込みました。
「私は、霊の声が聞こえてしまうの。あなただけは信じてくれるよね?」
すると思いがけず、店にいたお客さんが「Sさんて人が幸福の科学やってるから、聞いてみたら」と声をかけてくれたのです。近くに住むSさんは同級生だったこともあり、あの方だったらと、早速Sさんのお宅を訪れ、これまでの苦しい胸の内を打ち明けました。
熱心に聞いてくれるSさんご夫妻のあふれるような優しさと愛にふれ、私の心は久しぶりに安らぎを取り戻していきました。その時、自分もこのご夫婦のようになりたいと、心から思ったのでした。ほどなくして、私は 幸福の科学に入会 し、信仰の道に入りました。
自分をコントロールできない
教えを学び始めてすぐ「 波長同通の法則 」(心の状態が似ている者同士は引き寄せ合うという法則)を知った私は、悪霊が憑いているのは、自分の心が原因だと分かり、ショックを受けました。
そこで、毎日の学びと反省を徹底し、悪霊を呼び込む暗い心と決別しようと決意したのです。ところが、いざ幸福の科学の書籍を開くと、とたんに猛烈な睡魔に襲われてしまいます。それでもようやく『 太陽の法 』を読んだ私は、素晴らしい心の教えがたくさん説かれていることにただごとではない感じを受けました。
もっと勉強したいという気持ちは湧いてくるものの、法話のCDを聴こうとスイッチを入れたとたん眠り込んでしまいます。 大川総裁 の講演を聴きに衛生中継会場へ行こうにも、体が重く、起き上がることすらできません。
どうしてこんなに自分をコントロールできないのかと、歯がゆさで、悔し涙に暮れました。
母の愛を求めていた自分
自分を立て直したい一心で大川総裁の書籍を読み込むうち、『太陽の法』の「 愛の本質とは、まず、与えることなのです 」という一節に、はっとしました。私は、愛が欲しくて仕方がなかったのです。そんな自分を変えたいと思い、深く自分の心を見つめてみました。そうするうちに、母との葛藤に思い至ったのです。
私は小さな頃から、母に愛されていないと感じていました。4人きょうだいのうち、他の3人にはいつも優しく接する母でしたが、私に対しては、愚痴や不満などを、まるで「ゴミ箱」のように次々と吐き出してくるのです。
また、常に優秀な兄と比べられ、「あんたは駄目な子だ」と言われ続けていました。自分でも知らず知らずの間に、「私は必要のない子だ」と思い、卑屈になっていたのです。
そうした劣等感を隠すかのように、人より先に意見を言うなど、いつしか自分の優秀性を誇示するような傾向が身についていました。自分を肯定してほしいという思いから、前夫に対しても自分の考えを押し付けてばかりいたのです。
母への感謝で悪霊が取れた
悪霊が自分に憑依している原因は、劣等感からくる奪う愛だったと分かり、私は母との葛藤を何とか解決しようと、 総本山・正心館 の「両親に対する反省と感謝」研修に参加しました。
自分と似た性格だった父親への感謝はたくさん出てくるものの、母親には憎しみの気持ちばかりが出てきてしまいます。 研修 後、私は母の良いところを探して、ノートに書いてみようと思いました。
次第に見えてきたのは、母が女手ひとつで4人きょうだいを育ててくれた姿でした。父の女性問題が原因で別居してからというもの、母は必死で働いて私たちきょうだいを養ってくれました。辛いこと、苦しいことがいっぱいあったに違いありません。
しかし、ある頃からスナックを始めた母を許すことができず、「そんな商売やめてよね」と、ずっと責め続けていた私。それでも母は、何も言わずにじっと耐えていました。
そして、経済的理由から高校には行かないという私に、「私があなたに残してあげられる財産は、教育しかないから」と苦しい家計をやり繰りして、高校を卒業させてくれたのです。そこまで思い返した時、私は気づいたのです。母が私に愚痴をこぼしていたのは、きょうだいの中でもしっかりしていた私を信頼してくれていたからだということに。
自分は、こんなにも愛されていたんだ――。ポロポロとこぼれ続ける涙に洗われ、心の中に、感謝の気持ちが満ちてくるのを感じました。すると、バリッという感覚と共に、体の重さや頭痛が嘘のように消えていったのです。
再出発
その後、憑依状態は完全に直ったわけではなく、半年間は自分との闘いでした。ふとしたことで悲観的になると、また体が重くなって頭痛が始まってしまいます。それでも経典を読み、反省をしていくと、しばらくして心が明るくなり、ポカポカしてきます。そしてバリッ、と悪霊が離れた感覚があり、また憑依されていたんだとガクッとくることもしばしばでした。
それでも、めげずにコツコツと仏法真理の勉強やお祈りを続けていきました。そんな日々の中で、大川総裁の書籍にあった「 家庭ユートピア 」という言葉が心に留まりました。一度は結婚に失敗した私ですが、再婚し、多くの方々に光を手向けられるような家庭を築きたい、と心から思ったのです。
その後、同じ信仰を持つ主人と出会い、再婚することができました。今は、主人や子供たちと「おはよう」「ありがとうね」などと、顔を合わせる度に笑顔で言葉を交わす、楽しい家庭を営んでいます。信仰に出会い、私は本当に強くなれたと思います。
それは、自らが仏の子であることを確信し、同じ仏の子である他の人々の幸福のために生きる人生に変わったからです。感謝に満ちた心こそ、悪霊憑依から立ち直る道――。この教訓を胸に、正しき心を探究しながら生きていくことの大切さを多くの方にお伝えしていきたいです。