コレクション: 失恋
何度経験しても失恋は辛いものです。すぐに気持ちが癒えることはないでしょう。
数年間は苦しいかもしれませんが、その後の人生で、また、ほかに好きな人が現れるはずです。
だから、どうか苦しみに耐えてください。
ここに集めた言葉が、あなたの心を少しでも癒してくれますように。
大川隆法総裁の教えの中から失恋の悲しみからあなたの心を浮上させるための
心の処方せんを選びました。
何事も経験
やはり何事も経験なのです。「幾つか恋愛経験をして、異性について勉強し、そして何十年も人生を一緒に過ごせる相手を選ぶための訓練をしているのだ」ということを忘れないでいただきたいのです。
特に、宗教的な人のなかには、「運命の赤い糸」ということを強調しすぎて、「赤い糸は一本しかない。この糸が切れたら、自分は、もう終わりだ」と思い詰める人もいます。
しかし、どうか、そこまで思い詰めないでください。あなた自身は、仏でも神でもないのですから、赤い糸を見抜くだけの力はないはずです。自分で思い込んでいるだけなのです。実際には、もっともっと巧妙な仕組みが考えられているので、どうか、あまり自分を追い詰めないでいただきたいと思います。
運命論などに、あまりとらわれてはいけない
具体的な問題として、「間違って、約束していない人と結婚した場合に、どうなるか」ということですが、それは、あることはあるのです。
どんぴしゃりとはいかないこともあります。
たとえば、数十年前に太平洋戦争がありましたが、あのときには男性が大量に死んでしまいました。
そのために、「女性が男性の何倍もいる」というような事態になりました。
では、若い女性はみな独身を通すことを計画して出てきていたかというと、そんなこともないのです。
やはり、「できたら、この人」と思っていたのに、相手が戦争で死んでしまったとか、そういうことはたくさんあります。
こういう場合には、どうなるかというと、それでも、過去世のどこかで多少は縁のあった人と引きつけ合うことが、非常に多いのです。
同時代に生まれ変わるときに、一人の人とだけ一緒に出るのではなく、やはり、過去世で似たような時代に生きてきた人と集団で出ることが、よくあります。
夫婦の縁というものも、「AさんとBさんが結婚するのがいちばんよい」というベストの組み合わせはあるのですが、やはり何段階かあって、予備はあるのです。
「この人が駄目な場合は、この人。この人を先に取られたら、この人」というように、みな、二つ三つぐらいの縁は、いちおう予備として持っているのです。
最近は、横取りされることが多いので、やはり自分もストックは持っていますし、相手も、「もしかしたら」と思ってストックを持っています。
両方ともストックを持っているので、結びつけが非常に難しくなってきているのです。
過去、幾転生あって、いろいろな人間関係ができてきていますが、今世で発生する縁というものもあるのです。
したがって、カルマとか縁とかいう考えもありますが、そういう運命論などに、あまりとらわれるのも問題です。
たまたま自分が出くわした人とは、縁があったと思って、よい人生を築いていくのが、やはりベストだと思います。
初恋の人と結婚できる人はほとんどいない
いま、初めて結婚する人の平均年齢は、男性は三十歳近く、女性も二十八歳ぐらいになっていますし、三十代、四十代でも、まだ独身で、結婚相手を求めている人は何割もいます。そういう点から考えると、すでに結婚している人たちのなかで、初恋の人と結婚した人は、ほとんどいないと思われます。
男女共に、実際の結婚年齢が、最初に自分が好きになった人と結婚する可能性のある時期から十年以上も経過しているので、そういう人と結婚できる人は、ほとんどいないでしょう。
「結婚相手は初恋の人ではない」ということは、「過去に、成功しない恋があった」ということを意味します。
なかには、「女性にまったく関心がなかったのに、三十歳を過ぎてから、突如、関心が芽生えた」という人がいるかもしれません。一部の例外は、いつの時代にもあります。
しかし、普通の人は、結婚に至るまでに、練習期間として、幾人かの異性を好きになったり嫌いになったりして、“恋愛実験”をするのです。そういう経験をすることで、目が少し肥えてきて、生涯を共にできる相手を選ぶ目が養われ、結婚に至るのです。
もちろん、最初の結婚には失敗して、「前回は失敗したが、今度こそは」と思って、相手をよく選び、二度目の結婚でうまくいく場合もあります。
そのように、何事においても経験は必要なのです。
全体的な結婚年齢から見て、最初に好きになった人と結婚できる人は、いまの世の中には、ほとんどいないと言ってよいでしょう。
失恋を経験すると感謝の結婚生活を送れる
失恋の経験は人生において多少は必要かもしれません。
失恋を幾つか経験しておくと、結婚する段になって、奥さんが来てくれたら、ほんとうに「ありがたい」と感じます。「つくづく、ありがたい。こんな自分を、よく好きになってくれたものだ。毎日、よく逃げずに家にいてくれるものだ」と感謝の念が湧いてきます。
奥さんのほうも同じです。ご主人は、もし奥さんのことが嫌だったら、「朝、家を出ていって、もう戻らない」ということがあってもおかしくないのに、毎日、伝書鳩のように帰ってきてくれるのです。
家に帰ってきてくれるだけでも、ありがたいことなのです。朝、ご主人を見送るときに、「これが最後かもしれない」と思ってもよいはずですが、夜になると帰ってきてくれるわけです。ありがたい話です。
そういう意味では、男性も女性も、多少、恋愛がうまくいかない経験もしておいたほうが、のちの結婚生活で、お互いに感謝の生活を送れるようになります。
それから、夫婦が、相手に対して、あまりにも高い要求水準を持つと、お互いに苦しくなります。あまりにも純粋すぎて、要求水準が高すぎると、結婚生活は長く続きません。人生の現実を知って、多少、基準を下げておかなければいけないのです。
恋愛は燃え上がるものですが、結婚は平凡で平坦な道を長く歩んでいくものです。
したがって、スリリングなことに憧れているうちは結婚できません。
やはり、どこかで、一種の諦めを行い、一種の悟りを得て、平凡ななかで生きていくことができなければ、結婚は無理なのです。
失恋を発奮の材料にする
諸般の事情をいろいろと考えてみても、やはり、失恋したぐらいで自殺するのは愚の骨頂です。
その後の十年で、ほかに、好きな異性が現れないということは、まずありえません。二年や三年は苦しいかもしれませんが、それを耐えてほしいのです。
確かに、十年たっても二十年たっても三十年たっても、昔、好きだった相手に振られた思い出が、心の傷として残ることはあるでしょう。ただ、それもまた発奮の材料なのです。
仕事で頑張り、いい男、あるいは、素晴らしい女性になって、相手を見返してやればよいのです。相手の家の前でガソリンを被って焼身自殺をしたり、ビルから飛び降りたりするかわりに、もっと立派な男性、立派な女性になることが大事です。
あるいは、もっと素晴らしい人を見つければよいのです。人生の早いうちから世をはかなんではいけません。
そこまで思い詰めるのは、ほんとうに妄想なのです。
やがて、妄想から覚め、現実が見えてきます。妄想から覚めてみると、ほとんどの場合、がっかりするような相手に狂っていたことが分かります。
したがって、どうか耐えてください。
失恋しただけで自殺するのは、あまりにも単純すぎます。